社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(57) 津波てんでんこ

 

 

 

「3.11気仙沼 公民館に取り残された446人 救出」(猪瀬直樹)を読んだ。
被災者の証言をもとに書かれたもの。最初から最後まで、涙だ。本当に涙腺が緩くなってしまった。

気仙沼という町、海外に開かれた魅力的なところ。この本を通じて初めて知った。

 

 

 

都知事の時の「東京消防署のヘリの気仙沼公民館派遣」の決断になったいきさつが素敵だ。小説のような話。
この本 是非とも読んでほしいと思った。

 

さて、「津波てんでんこ」とは、「津波がおきたら、他の人のことは気にせず、それぞれで逃げろ」との意味。「てんで(ん)」は、「それぞれ・おのおの・各自」の方言。

災害大国ニッポン、改めて思う。「3.11」の衝撃を今に生かさなくてはと思う。福島原発事故のことも忘れてはならない。

当時、福祉施設で働いていたが、レストランのテレビから流れる映像に不安がる利用者の方がいたのを思い出す。できる限りの説明をしたり、様子を見てはテレビのスイッチを切ったことも。テレビは限られた娯楽だった。
その日、津波や火事のシーンなどがずーっと流れた。
私自身も 実は不安であった。

 

 

明治三陸地震(1896年) - Wikipedia

昭和三陸地震(1933年) - Wikipedia

チリ地震 (1960年) - Wikipedia

 

気仙沼のある三陸地方は、常に津波に襲われてきた。東日本大震災の前、明治、昭和の時代に3度の大津波を経験。

2万2千人の命が犠牲になった明治三陸地震(1896年)
明治29(1896)年6月15日(旧暦5月5日)19時32分、岩手県上閉郡(かみへいぐん)釜石町(現・釜石市)の東方沖を震源として、マグニチュード8.2の地震が発生。端午の節句をお祝いする日に発生した地震、これが明治三陸地震です。流出、全半壊の家屋が1万戸以上、約2万2千人の命が犠牲となった、津波災害史上最大の被害。

明治三陸地震から37年後に発生した昭和三陸地震(1933年)
明治三陸地震から37年後の昭和8年(1933年) 、桃の節句3月3日の午前2時30分、「昭和三陸地震」が発生。明治三陸地震と同じ東方沖を震源地とし、マグニチュード8.1、最大震度5(岩手県宮古市)を記録。このときも津波の第一波が約30分後に到達。

昭和三陸地震から27年後に発生したチリ地震(1960年) 
昭和三陸地震から27年後の昭和35年(1960年)、5月24日午前4時30分、三陸地方沿岸部は、地震がおきていないにもかかわらず、突然おおきな津波におそわれました。南米チリでマグニチュード9.5の地震が発生し、およそ一晩かけて日本にまで津波が到達。

 

 

それにつけても、原発再稼働・新規建設という原発回帰の方針はいかがなものであろうか。「3.11」の教訓をないがしろにしているとしか思えない。

日刊ゲンダイで次の記事を見つけた。なるほどと思った。

 

 

 

なぜ原発活用の方針転換を急いだか ウクライナ危機や電力高騰の“カミカゼ”を利用しているだけ|日刊ゲンダイDIGITAL



なぜ原発活用の方針転換を急いだか
    ウクライナ危機や電力高騰の“カミカゼ”を利用しているだけ

                       公開日:2023/01/28 06:00 更新日:2023/01/28 06:00
     松久保肇(原子力資料情報室 事務局長)
 昨年8月24日、岸田首相が原発運転期間の延長と原発建設を含む原発活用方針の検討を指示してから、わずか4カ月。12月22日の政府のGX(グリーントランスフォーメーション)実行会議は原発活用方針を含む基本方針を承認、年末年始を挟んで30日間のパブリックコメント(意見公募)が実施されたものの、事実上、方針は固められた。

 2012年、東京電力福島第1原発事故の反省を受けて、与野党合意の下、原発の運転期間は原則40年、例外的に20年延長を可能にすることとした。また、政府はこれまで「原発の新増設は想定していない」と繰り返し答弁してきた。つまり緩やかな脱原発は既定路線だった。

■方針転換は根拠に欠ける
 事故から約12年、原子力緊急事態宣言はいまだ解除されず、世論も6割超が脱原発を求める中で、岸田首相は、原発政策を百八十度方針転換しようとしている。

 方針転換の理由として、政府は大きく、①電力需給逼迫対策②エネルギー安全保障確保③脱炭素の推進役と3つの理由を挙げている。だが、いずれも根拠に欠ける。

 第1に未稼働原発は地元理解や工事未了、安全性が未確認など、再稼働できない理由がある。さらに、地震などで原発が停止する事例は複数ある。よって電力需給逼迫には、いつ再稼働できるかわからない原発よりも、節電や建物の省エネ化などの需要抑制が効果的だ。

 第2に原発の燃料であるウラン資源はすべて輸入だ。さらに、ウランは濃縮工程を経ないと原発の燃料として使えないが、このウラン濃縮ではロシアが世界シェアの約50%を占めている。

 第3に近年、原発の建設期間は10年、中には15年以上を要しているものまである。一方、同じ脱炭素電源でも太陽光は1年程度、風力でも数年程度で建つ。発電所が新設されるまでは既存の石炭火力などのCO2排出の多い電源が生き残ることになるが、建設期間の短い自然エネルギーのほうがCO2排出量を早く多く削減できる。

  

 

 

 

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