インド、世界1の人口 14億4000万 (2024年4月) 。グローバルサウスの盟主としての存在感が記憶に新しい。
さて、インドといえば、古代四大文明の一つ・インダス文明発祥の地。ハラッパーやモエンジョ=ダロが聞きなれているが、今はパキスタン領。ドーラヴィーラーやロータルがインド。
ドーラヴィーラー 城塞付近の貯水槽
そして、なんといっても、ガンジス川の沐浴。異世界の光景だ。
ヒンドゥー教徒にとってガンジス川の流れで沐浴することは最大の信仰的行為。
南インドのヒンドゥー教の聖地
マドゥライの「ミーナークシー・アンマン寺院」
さらに、インドといえば、塩の行進のガンジーと冷戦時代の非同盟中立を推進したネール首相。ガンジーの非暴力不服従の訴えは、今によみがえるのだろうか。
「力に 力を!」の不毛さは明白。でも威勢がいいので、人はみな なびく。あるいは、暴力に対する恐怖から力に頼ることになるのだろうか。
一般事情
1 面積
328万7,469平方キロメートル(インド政府資料:パキスタン、中国との係争地を含む)(2011年国勢調査)2 人口
14億1,717万人(2022年世銀資料)3 首都
ニューデリー(New Delhi)
(注)インド連邦直轄領の一つである「デリー」の呼称も広く一般的に使われていますが、インド政府は「ニューデリー」をインドの首都としております。4 民族
インド・アーリヤ族、ドラビダ族、モンゴロイド族等5 言語
連邦公用語はヒンディー語、他に憲法で公認されている州の言語が21言語6 宗教
ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)
政治体制・内政
1 政体
共和制2 元首
ドロウパディー・ムルム大統領3 議会
二院制(上院250議席、下院552議席((注)インド憲法における規定数))
インドのモディ首相、勝利宣言 与党議席減も続投へ意欲|47NEWS(よんななニュース)
インドのモディ首相、勝利宣言
与党議席減も続投へ意欲
4日、与党インド人民党(BJP)の幹部から花輪をかけられるインドのモディ首相
=ニューデリー(ゲッティ=共同)
2024年06月05日 08時48分共同通信
【ニューデリー共同】インドのモディ首相は4日夜、下院(定数545)総選挙の開票を受け、与党インド人民党(BJP)の本部で演説し「与党連合が政権を握ることが決まった」と勝利宣言した。BJPを軸とする与党連合は過半数を維持するとみられるが、議席を大幅に減らす見通し。モディ氏は「世界第3の経済大国に向けて全力で働く」と続投へ意欲を示した。
酷暑の中で選挙が順調に終わったとして「世界最大の民主主義の勝利だ」と総括した。ただ、与党連合は貧しい農村地帯などで得票を大きく減らし、モディ氏の求心力低下は必至だ。安定した政権運営には中小の地域政党の協力が不可欠となる。
インド総選挙、与党過半数へ 議席は大幅減、貧困層に不満|47NEWS(よんななニュース)
インド総選挙の開票結果を受け、喜ぶ野党支持者=4日、ニューデリー(ロイター=共同)
2024年06月04日 19時42分共同通信
【ニューデリー共同】インドで4日、下院(定数545)総選挙が一斉開票された。複数の地元メディアはモディ首相(73)率いるインド人民党(BJP)中心の与党連合が過半数を維持する見通しだと報じた。モディ政権の3期目入りは確定的な情勢だが、BJP単独では過半数を逃し、与党連合は大きく議席数を減らす見込み。モディ氏の求心力低下は必至で、政治が不安定化する恐れもある。
モディ政権は他国に過度に依存しない「戦略的自律」という外交方針を掲げており、政権継続で対外関係に大きな変化はないとみられる。中国をにらんだ日米豪との協力枠組み「クアッド」とともに、ウクライナ侵攻が続く中でも伝統的友好国のロシアを重視する独自姿勢を続ける見通しだ。
議席を減らした背景には、経済成長が続く一方で格差が拡大し、人々の不満が高まっていることがありそうだ。州別で最多の人口約2億人を抱え、選挙の鍵を握るとされる北部ウッタルプラデシュ州では野党が躍進した。同州は農家や貧困層が多いことで知られる。
インドについておさらい。
Perplexity に手伝ってもらった。
インドが直面する主な課題は以下の通りです。
貧困問題
・人口の約2割が極度の貧困状態にあり、十分な食料や住居、教育を受けられない状況[1]
・宗教、カースト、性別、地域性などの複雑な要因が貧困の原因となっている[1]
・子どもの栄養失調や教育機会の喪失、スラムの拡大など深刻な問題がある[1]
雇用創出と経済成長
・製造業の振興と外国直接投資の増加による雇用創出が課題[2]
・中国企業のインド進出に対抗するため、生産・販売体制の効率化が必要[2]
・財政赤字削減、マクロ経済の安定性向上が重要[2]
ジェンダー格差と女性の地位向上
・性暴力、教育格差、結婚持参金(ダウリー)制度など、女性に対する差別が根強い[3]
・女児への中絶や殺害、女性の社会進出の制限など深刻な問題がある[3]
・女性の経済的・社会的自立支援が喫緊の課題[1][3]
インフラ整備と環境対策
・再生可能エネルギー比率の上昇、発電・配電効率の改善が必要[2]
・電気自動車(EV)の普及、排ガス規制の強化による環境対策が重要[2]
・道路、鉄道、通信網などのインフラ整備が不可欠[2]
インドは経済発展を遂げつつあるものの、上記の課題に取り組むことが求められています[1][2][3]。
Citations:
[1] https://spaceshipearth.jp/india/
[2] https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/rim/pdf/11268.pdf
[3] https://www.plan-international.jp/girlslab/meaning-india_genderdiscrimination/
[4] https://www.digima-japan.com/knowhow/india/5908.php
[5] https://www.worldvision.jp/children/poverty_23.html
インドの政治勢力分布は2000年代以降、以下のように変化してきました。
与党会議派の衰退
・1990年代後半から会議派の得票率が低下し、単独与党から連立政権へ移行[1]
・2004年と2009年の総選挙では左翼勢力の支持を得て連立与党を組成[1]
・しかし2014年には右翼政党インド人民党(BJP)に大敗を喫した[1]
インド人民党(BJP)の台頭
・2014年総選挙でBJPが第一党となり、モディ政権が発足[1]
・2019年総選挙でも勝利し、モディ政権が続投[1]
・ヒンドゥー・ナショナリズムに基づく保守的な政策を推進[1]
地域政党と新興勢力の台頭
・カースト、宗教、地域に基盤を置く小政党が勢力を伸ばす[1]
・2019年総選挙では37の政党が議席を獲得[1]
・連邦政治の多極化が進行し、連立政権が常態化[1]
このように、2000年代以降、インドの政治勢力は会議派から右翼BJPへと主導権が移り、地域政党の影響力も高まっています。連立政権の形成が不可欠となり、政治の多極化が進行しています[1]。
Citations:
[1] https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/151813/1/INDAS_vol01_065.pdf
[2] https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/9/3.4/9_1/_pdf/-char/ja
[3] https://www.jbic.go.jp/ja/information/investment/image/inv_india01.pdf
[4] https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/data.html
[5] https://www.nira.or.jp/paper/research-report/2023/262312.html
インド人民党(BJP)の主張と支持基盤について、以下のようにまとめられます。
主張の特徴
1.ヒンドゥー至上主義:
・BJPはヒンドゥー至上主義を理念として掲げており、インドを「偉大なヒンドゥー国家」として再興することを目指しています[3][4]。
・ヒンドゥー教徒の自覚を高め、宗教的な紐帯を強化することを重視しています[3]。
・イスラム教徒や他の少数派に対する強硬姿勢が特徴で、特にジャンム・カシミール州の自治権廃止や市民権法改正などが挙げられます[2][4]。
2.経済成長重視:
・経済成長を最優先する政策を掲げ、自由主義経済の徹底を主張しています[3]。
・インフラ整備、ビジネス環境の改善、税制改革などを推進し、企業寄りの政策を重視しています[2][3]。
3.反汚職:
・汚職の根絶を掲げ、クリーンな政治を目指すとしています[3]。
4.ナショナリズム:
・強いナショナリズムを打ち出し、国民の統合を図る政策を推進しています[4]。
・映画館での国家斉唱の義務化など、愛国心を強調する政策も見られます[4]。
支持基盤
1.上位カースト:
・BJPの指導部には上位カースト出身者が多く、上位カーストの支持を得ています[3]。
2.都市中間層:
・都市部の中間層や中小資本家、地主などが主要な支持層です[3]。
3.ヒンドゥー教徒:
・ヒンドゥー教徒が国民の約8割を占める中で、ヒンドゥー教徒の支持を広く得ています[2][4]。
4.民族奉仕団(RSS):
・BJPの支持基盤には、モディ首相もかつて所属していたヒンドゥー至上主義団体のRSS(民族奉仕団)が含まれています[1][4]。
5.農村部の貧困層:
・モディ政権は農村部の貧困層に対しても、トイレや電気、料理用ガス、銀行口座の提供などを通じて支持を広げています[4]。
BJPはこれらの支持基盤を背景に、ヒンドゥー至上主義と経済成長を両立させる政策を推進し、インドの政治に大きな影響を与えています[1][2][3][4][5]。
Citations:
[1] https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240418/k10014426251000.html
[2] https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/researchfocus/pdf/14511.pdf
[3] https://www.y-history.net/appendix/wh1703-068_1_1.html
[4] http://ssdpaki.la.coocan.jp/proposals/25.html
[5] https://www.dlri.co.jp/report/macro/340481.html
[6] https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240604/k10014470791000.html
[7] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%9A
[8] https://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2018-03_002.pdf
[9] https://serendip.app/books/3748
[10] https://www.bbc.com/japanese/articles/crgg5dyn34do
[11] https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiji1999/4/0/4_0_155/_pdf
[12] https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-06-06/SEMOQ0T0AFB400
[13] https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2024/ISQ202420_015.html
[14] https://www.sankei.com/article/20240606-DC7E4TLRX5KZHAFPWV2RKSNRZI/
インドの歴史を時系列で簡潔に箇条書きにすると以下のようになります。
・紀元前3000年頃 ・インダス文明が興隆[1]
・紀元前1500年頃 ・インド・アーリア人がインド北西部に移住[1]
・紀元前600年頃 ・仏教が成立[1]
・紀元前326年 ・アレクサンドロス大王がインド北西部を征服[1]
・紀元後4世紀 ・グプタ朝が成立し、古典文化が隆盛[1]
・8世紀 ・イスラム勢力がインド北西部に進出[1]
・11世紀 ・ガズニ朝、ガウリ朝がデリー sultanate を樹立[1]
・16世紀 ・ムガル帝国が成立し版図を拡大[1]
・1757年 ・イギリス東インド会社がベンガル支配権を獲得[1]
・1858年 ・インドがイギリス直轄植民地となる[1]
・1885年 ・インド国民会議派が結成される[1]
・1947年 ・インド・パキスタンが独立[1]
・1950年 ・インド共和国が成立[1]
このように、古代インダス文明に始まり、アーリア人の移住、仏教の成立、イスラム勢力の進出、ムガル帝国の興亡、イギリス植民地支配を経て、1947年に独立を果たしたという長い歴史を持っています[1]。
Citations:
[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
[2] https://www.try-it.jp/chapters-11188/lessons-11189/
[3] https://www.y-history.net/appendix/wh0201-040.html
[4] https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/report/IN/2019/01/india-basic-information.html
[5] https://www.hankyu-travel.com/guide/india/history.php
イギリスのインド植民地支配の特徴と、ガンジーのインド独立での役割、冷戦下のネール首相の役割については以下のようにまとめられます。
イギリス植民地支配の特徴
・1757年のプラッシー戦争でベンガル支配権を獲得したイギリス東インド会社が実質的な支配を開始[1]
・1858年にインド大反乱を契機に、インドはイギリス直轄の植民地となる[1]
・鉄道、官僚制度、英語教育の導入など、イギリス化政策が進められた[1]
・原料供給地としてインドの資源が収奪され、綿工業などの地場産業が衰退した[1]
ガンジーの役割
・1930年の塩の行進をはじめとする市民的不服従運動を展開[1]
・イギリス統治に対する世論を高め、インド独立の実現に大きく貢献[1]
インド独立後の役割
・1947年にイギリスから独立し、インド連邦とパキスタンが誕生[1]
・冷戦下の非同盟運動の中心的役割を果たした[1]
・経済発展と民主主義の模範国家を目指したが、カーストや宗教対立など課題も残った[1]
ネール首相の役割
・1947年のインド独立後、最初の首相に就任[1]
・社会主義的な混合経済政策と重工業育成を推進[1]
・カシミール問題などの宗教・領土対立でパキスタンと対立[1]
・1964年に辞任するまで、インド近代化の基礎を築いた[1]
イギリスの植民地支配は経済的収奪と文化的同化を伴いましたが、ガンジーらの非暴力運動によりインドは独立を果たしました。独立後は非同盟運動の中心的存在となり、経済発展と民主化に取り組みましたが、課題も残されています[1]。
Citations:
[1] https://spaceshipearth.jp/colony/
[2] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%B8%9D%E5%9B%BD
[3] https://www.y-history.net/appendix/wh1403-107.html
[4] https://www.y-history.net/appendix/wh1403-112.html
[5] https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2023/06/post-120.php