社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(249) 「葬送のカーネーション」鑑賞

 

 

 

 

 

 

大阪心斎橋のシネマート心斎橋で、9時45分からの部を鑑賞。
観客は3名。



映画.COMから

トルコの気鋭監督ベキル・ビュルビュルが、亡き妻を埋葬するため棺を背負って歩き続ける老人とその孫娘の旅を、リアリズムと虚構を交差させながら描いたドラマ。

荒涼とした冬のトルコ南東部。年老いた男性ムサは他界した妻との約束を守るため、彼女の遺体を故郷の地に埋葬するべく棺を背負って旅をしている。紛争の続く地域へ帰りたくない孫娘ハリメは、親を亡くし仕方なくムサと行動をともにする。彼らは旅の途中で出会ったさまざまな人たちから、神の啓示のような“生きる言葉”を授かりながら進み続ける。

シリア出身で、戦争から逃れるためトルコに移住した新人俳優シャム・シェリット・ゼイダンが孫娘ハリメ、トルコの映画・舞台・テレビドラマで活躍するデミル・パルスジャンが祖父ムサを演じた。2022年・第35回東京国際映画祭「アジアの未来」部門では「クローブカーネーション」のタイトルで上映されている。

2022年製作/103分/G/トルコ・ベルギー合作
原題:Cloves & Carnations
配給:ラビットハウス
劇場公開日:2024年1月12日

 

www.youtube.com

 

「原題:Cloves & Carnations」の意味は、クローブをひとつまみ。
Clovesは、クローブシナモンモールとしても知られ、クローブツリー(Syzygium aromaticum)の花のつぼみから得られるスパイス。クローブは一般的に料理や菓子作りに使用され、独特の強い香りと辛味があり、また、歯痛や口内炎の治療にも用いられることがあるとのことです。

 

 

     

 

 

 

虚構シーン。夢のシーン?

 





爺ちゃんムサと孫娘ハルメのロードムービー
主人公2人の科白はほとんどない。舞台はトルコで、国境に向かう。シリアへ向かっているのであろう。孫娘はトルコ語を話すけれで、ムサの言葉は何語であろう。シリア難民であれば、アラブ語なのであろうか。

トルコの自然は厳しい。

 

 

 

 


はじめ祝祭シーンで始まる。ムサとハルメの進行を妨害する。
最後も祝祭シーンで終わる。ムサが、結婚式の新婦の席に座る。これは、虚構だ。何を意味しているのだろう。ムサが、戦地・故郷に戻り死んだことを暗示しているのだろうか。

ムサとハルメの境遇についても語られることがない。
ハルメが描いたスケッチ。戦争下で、トルコに難民として移動したことを暗示。



 

爺ちゃんは、妻と約束を果たそうと、孫娘を連れて故郷に。向かう先は、戦争状態の地?!。
逆方向に人の群れがあるので、戦争状態が続いているのであろう。



何故、爺ちゃんムサは、亡き妻の棺を背負ってそこに向かうのであろう。

 

 

ヒッチハイクで乗せてもらったトラックの女性運転手の言葉


”一生は短いのさ。気づいたら終わってしまうものだけど、ただ穏やかでいることが大切なんだ。
思想家のサイード・ヌルシーは“死は終わりではなく、来世への入り口だ” と言ってるんだ。
亡くなったあなたの両親も来世にいるってことなの。”

”リンゴを食べて種を埋めたら、いずれ大きな木になるだろ。
私たちも地面に埋められて来世に行ったら大きな木になるのよ。
今は冬、草木は枯れていても初夏の祝祭の頃には息を吹き返し、
みんなで楽器をかき鳴らし食べたり、踊ったりする。”

 

 

 

境界に向かう大型トラックのラジオから流れてくるDJの言葉


“人生が無意味でも、価値を見出して進み続けるべきなのだろうか。
意味はないが、走り回って何かをしなければならないのが人間なのかもしれない。”

”地球の歴史上、人生というパーティーはいつか終わり、大きな失敗と偉大な成功だけが残る。
しかし、仮にあなたの子孫が1000年続いたとしても、 誰もあなたに感謝しないし、そもそも認識すらしない。”

 

意味するところのすべてを理解できない。深いところをついているのだろう。

 

映画『葬送のカーネーション』オフィシャルサイト

 


 身近な国 トルコ

トルコはアジア大陸とヨーロッパ大陸の一部を含む国で、「アジアとヨーロッパの架け橋」としてしばしば表現されています。トルコのアジア部分、アナトリアは、人類文明の起源とされており、ヒッタイトフリギア古代ギリシアローマ帝国オスマン帝国など、18の異なる文明が栄えた歴史的に重要な地域です。

 

 


境界を超えることができず、その手前で妻は埋葬された。婆ちゃんのスケッチとカーネーションが手向けられた。

 

 

イスラム教では、土葬だとか、爺ちゃん含めてみんなが、婆ちゃんの棺を大事に大事に扱っていたこと、死に対する態度とか、この映画を通じて触れることができた。そして、トルコでは400万人近いシリア難民の問題が大きな政治問題になっていることをこの映画を通じてあらためて知った。

トルコの自然、日本の風景とは違う。印象的だ。

 

 



 

科白がない主人公の映画初めて。トルコ映画も初体験。「この映画はトルコエイダ」と意識してみたのは初めて。
新鮮だった。何を訴えているのだろうか、映画のシーンを真剣に見た。ほとんどは理解できてはいないとは思うが、こんな映画もいい。

評価 80点。

 

 

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