半ドンの仕事が終わって、T・ジョイ梅田で、13時からの部を鑑賞。3D ドルビー。
7割ぐらいの入り、客層は全方位。

映画.COMから
ジェームズ・キャメロン監督によるSF超大作「アバター」シリーズの第3作。神秘の惑星パンドラを舞台とし、「森」と「海」の世界を描いてきた前2作に続き、今作は「炎」というテーマを軸に、新たにナヴィ同士の戦いが描かれる。
パンドラの先住民ナヴィの生き方に共感し、自らもナヴィとなって彼らとともに生きる道を選んだジェイク・サリー。人類の侵略によって神聖な森を追われたジェイクと家族、仲間たちは、海の部族メトカイナ族と共闘し、多くの犠牲を払いながらも人類を退けることに成功した。しかし、そんなジェイクたちが、今度は灰の部族アッシュ族と対峙することになる。アッシュ族は過去に、パンドラの調和を司る神のような存在である「エイワ」に何らかの裏切りを受け、絶望していた。静かに、しかし激しく怒りを燃やすアッシュ族のリーダー、ヴァランに、ジェイクの因縁の敵であり、自らもナヴィとなったクオリッチ大佐が近づく。両者が手を組むことで、ジェイクたちサリー一家を追い詰めていく。
キャストには、サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーブン・ラング、ジャック・チャンピオン、ケイト・ウィンスレットら前2作からのおなじみの面々が名を連ねる。今作で新たに登場するアッシュ族のリーダー、ヴァランを演じるのは、チャールズ・チャップリンを祖父に持つスペインの俳優ウーナ・チャップリン。
2025年製作/197分/G/アメリカ
原題または英題:Avatar: Fire and Ash
配給:ディズニー
劇場公開日:2025年12月19日
3時間を超える大作、長さを感じさせない。
スケール、映像美、何か得した気分にさせる。


第1作「アバター」のような感動がないのはなぜであろうか。
トゥルクン(パンドラの海に暮らす、クジラを思わせる巨大な知的生命体)は絶対的平和主義者ではなかったのか。
頭が回らない。
灰の部族アッシュ族は 過去に、パンドラの調和を司る神のような存在である「エイワ」に何らかの裏切りを受けたという。荒々しく、攻撃的で悪の象徴のようだ。どのような裏切り。そして、「エイワ」とは何。


戦闘シーンを見ても単純に心が躍らない。
現実世界を思い起こすからだ。現実世界に重なる。





私の考察映画にカタルシスを求めるのは、自然なことだ。映画に多く求めるのはこの点。
悪が倒れ、秩序が回復し、観客は胸をなで下ろして席を立つ。
第1作の『アバター』は、まさにその快感があった。
侵略者は敗れ、自然は勝利し、世界は一度、正しさを取り戻した。だが、第3作は違う。
勝っても晴れない。
戦っても救われない。
観終わったあと、残るのは爽快感ではなく、「これは終わっていない」という感触だ。意図された欠如なのであろうか。
製作者たちは、第3作で物語の役割そのものを変えたのだろうか。
もはや映画は、観客の感情を解放する装置ではない。
むしろ、感情を中途半端に放り投げたままにしている。製作者たちはどのような狙いをもっているのだろうか。
理由は単純なのかもしれない。
現実世界が、もはやカタルシスを許さない段階に入っているからだ。現代の暴力は、明確な終わりを持たない。
戦争は勝敗で終わらず、憎しみは世代を越えて循環する。
正義は簡単に裏返り、被害者と加害者は入れ替わる。
この現実の只中で、「すっきりする結末」を描けば、それは嘘になる。第3作で描かれる “火の民” は、その象徴だ。
彼らは悪ではないし、私自身でもある。
かつて傷つけられ、生き延びるために怒りを選んだ共同体だ。
もし彼らが倒され、物語が終わってしまえば、観客はまた「問題は解決した」と錯覚してしまう。製作者たちは、それを拒んだのではないだろうか。
だから第3作には、救済の音楽も、決定的な勝利もない。
あるのは、燃えたあとに残る灰と、選び直すしかない未来だけだ。カタルシスとは、本来「出口」である。
第3作がそれを与えないのは、
出口のない時代に、安易な出口を用意すること自体が嘘であると知っているからに違いない。この映画は、気持ちよく終わらせるための物語ではない。
観客に問いを持ち帰らせるための物語である。すっきりしない。
だが、その違和感こそが、今の世界と正面から向き合えとのメッセージだ。
どのような世界を選ぶかどうかは私自身の問題だ。






「エイワ」は烏賊なのか。最後に登場したのは、そのような形状のもの。ジェイクたちを救った。どのような存在か。関心がある。
映画で表現できることはたくさんあることに気づかせた映画。映画は「楽しいもの+アルファ」 だ。
私の評価 90点。
