社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(359) 「流麻溝十五号」鑑賞

 

 

 

 

 

 

シネマート心斎橋で9時30分からの部を鑑賞。20名強の観客。

  


10月24日をもって閉館するとのこと。残念だ。
韓国映画をよくここで見た。

 

 

映画.COM

台湾国民政府による恐怖政治下で戒厳令が敷かれていた「白色テロ」時代に、政治犯収容を目的とした教育施設と監獄のある緑島で生きる女性たちの姿を、実在した複数の人物を3人の女性に投影して描いたドラマ。

1953年、政治的弾圧が続く台湾では、罪を課せられた者は思想改造および教育・更生のため緑島に収監されていた。連行された者は名前ではなく番号で呼ばれ、重労働を強いられた。純粋な心を持ち、絵を描くことが好きな高校生のユー・シンホェイ。子どもが生まれて間もなく投獄された、正義感の強い看護師イェン・シュェイシア。妹を拷問から守るため自ら囚人となったダンサーのチェン・ピン。次々と迫る不条理に対しても考えることを諦めず、台湾語、北京語、日本語などさまざまな言語を駆使しながら日々を生き延びようとする彼女たちだったが……。

ユー・シンホェイ役に「越年 Lovers」のユー・ペイチェン。監督は「Tattoo 刺青」などこれまでも一貫してジェンダー平等の視点から作品を撮り続けてきたゼロ・チョウ。

2022年製作/112分/G/台湾
原題:流麻溝十五號 Untold Herstory
配給:太秦
劇場公開日:2024年7月26日

 

www.youtube.com

 

エンディングで流れる曲が胸を打つ。

www.youtube.com



1953年、台湾の緑島が映画の舞台。

 

 

北京語、日本語、英語、台湾(ホーロー)語、そして台湾客家語・原住民族の言葉が飛び交う。教育施設と監獄で、多様な言語を駆使して意思疎通を図る。
 各言語の違いが、字幕では独特の括弧使いで区別される。北京語、日本語・英語は括弧なし、台湾語は〈 〉、台湾客家語・原住民族の各言葉などは[ ]という具合に。

台湾の歴史、文化、独自性を感じた。

 

台湾 ホームページ「世界史の窓」から


<台湾の歴史 概観>
固有の先住民の文化 台湾は古来、中国本土とは別個な文化圏にあった。その先住民は東南アジア島嶼部から南太平洋に拡がるオーストロネシア語族に拡がる民族で、多くの部族に分かれ、独自の狩猟・漁業、焼畑農業に従事していた。彼らは漢民族ではなく、中国の史料にも様々な名前で出てきて、一定しない。南部の台南の外港にタイオワンといわれたところがあり、その地名が後にこの島全体の名称となって台湾の字があてられるようになったらしい。

(略)

台湾の先住民と中国系住民

 考古学上の調査ではすでに5万年前から人類の居住が認められるが、最初の民族がどのような系統の人々かはわかっていない。現在の台湾の先住民は、漢民族とは異なるオーストロネシア語族(かつてはマライ=ポリネシア語族と言われたが、現在はその分類は使われていない)の人びと(淡褐色の皮膚、大きな目、二重まぶた、低い身長などが特徴)で、現在は高山(こうざん、カオシャン)族と総称されることが多い。

 

 

戒厳令下の台湾の現実を真剣に伝える映画。
台湾本島から離れた政治犯の教育施設・緑島の実態を描く。映像としては、残酷シーンはそれとして描かれることはほとんどなく、観客の想像力にゆだねられている。

戒厳令下の「白色テロ時代」、1947年の二・二八事件から1987年に戒厳令が解除されるまでの期間のこと。台湾では二・二八事件以降、国民党は台湾国民に相互監視と密告を強制し、反政府勢力のあぶり出しと弾圧を徹底的に行った。
白色テロの期間、国民党政権に対して実際に反抗するか若しくはそのおそれがあると認められた140,000名程度が投獄され、そのうち3,000名から4,000名が処刑されたと言われている。

 

 

 

 

 


 

 

 

高校生の杏子、リーダー的存在の看護師の巌水、所長の愛人になりながらも、残された妹を助けるために過ごすダンサーの陳。3人の収容女性を中心に物語は動く。

1949年から1987年まで続いた国民党政府の戒厳令下の1953年・緑島に焦点を当てた。事実を事実として伝える台湾の底力に圧倒された。静かに、静かに、冷静に、冷静な表現に心を奪われる。

 

 

  

 

  

 

  

 

 

 

映画『流麻溝十五号 Untold Herstory』公式サイト

 

余佩真(ユー・ペイチェン)    余杏惠(ユー・シンホェイ) 役
絵を描くのが得意な17歳の高校生。学生組合に参加したことがきっかけでスパイ容疑をかけられ、犯罪に巻き込まれる。一部の寮生からは杏子(きょうこ)と呼ばれている。

 

連俞涵(リェン・ユーハン)    陳萍(チェン・ピン) 役
25歳の時、姉と澎湖に亡命。 妹を守るためスパイ(共産党)と自首し、懲罰を受けることに。新生訓導処では舞踊団に入団している。

 

徐麗雯(シュー・リーウェン)   嚴水霞(イェン・シュェイシア) 役
32歳、しっかり者で正義感あふれる性格の看護師。外部団体への参加、禁止図書の閲覧が原因で収監される。寮の中で厳(げん)さんと呼ばれており、読書や勉強、自由な発想の大切さを教えながら、女子寮の寮長のように皆の面倒を見ている。

 

 

周美玲(ゼロ・チョウ)
ドキュメンタリーでキャリアをスタートさせ、のちに長編映画へ転向。哲学的かつ文学的な作風で、運命思想を取り入れて主に女性の感情をモチーフにしている。長編デビュー作『Tattoo-刺青』はベルリン国際映画祭でテディ賞を受賞。他の作品でも台北金馬映画祭ほか、数々の国際映画祭で賞を受賞している。

受賞歴
『豔光四射歌舞團』(2004年)台北最優秀台湾映画賞受賞
Tattoo-刺青』(2007年)ベルリン国際映画祭テディ賞受賞
『彷徨う花たち』(2008年)シネゴアック芸術祭 出品

 



“What is the sin of thinking?"―考えることの罪とは?
“Why is it a sin to think? "―なぜ考えることが罪なのか?

考えようともせず、考えることをやめてしまう―
そんな日が自分に訪れたら、どんなに悲しいだろう

『流麻溝十五号』は、考えることをやめられない女性政治犯たちを描いています。

彼女たちの心は解放されます。しかし、その思想のせいで肉体は監禁され、虐げられ、殺されてしまうのです。

このような不条理が起こったのは遠い過去ではなく、私たちの祖母の世代は
今なお消えない恐怖を抱いているかもしれません。

これらの不条理が終わり、永遠になくなることを心から願います。
しかしながら世界の他の場所では、今なお同じことが繰り返されているのが現実です。不条理に対して私たちにできることは、忘れ去られないように物語を語り継いでいくことだけ。

そうしないと、いつまた不条理の脅威が戻ってくるかわからないのです。

 

 

 

最後のシーン、ハッピーだ。
信念に導かれる希望の風景なのであろうか。

戒厳令下の不条理、そして、戒厳令が解除されて今 希望に満ちた現状になっているのであろうか。

 

お隣の台湾を知ることは、日本を知ることでもある。
多くを学ぶことのできる映画。ヒューマン映画。
仲間同士の連帯、親子愛、姉妹愛、恋愛、暗いだけの映画でない。

是非お勧めしたい映画だ。

私の評価は、95点。

★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

台湾のことを知りたくて、Perplexity に聞いた。

https://www.perplexity.ai/


台湾人とはどのような存在ですか。

台湾人は以下のような特徴を持つ存在です。

 

明るく大らかな性格

 

・台湾は亜熱帯気候に位置し、暖かい気候から明るく大らかな性格の人が多い[1][3]。

・時間にルーズな面もあるが、必要以上に他人の目を気にしない傾向がある[1]。

 

家族を大切にする

 

・台湾では女性が強く、自分の意見をはっきり主張する一方、男性は女性を尊重する[4]。

・家族を非常に大切にする国民性がある[4]。

 

親日的な感情

 

日清戦争で日本に統治された歴史から、台湾人は日本に対して親日的な感情を持っている[1][3]。

・日本による台湾のインフラ整備や経済成長への貢献、日本統治時代の平和さが、親日感につながっている[3]。

 

教育熱心

 

・日本への留学生も多く、2023年は6,998人を記録し、トップ10に入っている[3]。

・日本との距離の近さや、親日的な文化から、留学先として選ばれやすい[3]。

 

以上のように、台湾人は明るく大らかな性格の一方で、家族を大切にし、日本に対して親日的な感情を持つ存在だと言えます。教育熱心で、日本への留学生も多いのも特徴の一つです。

 

Citations:

[1] https://global-saponet.mgl.mynavi.jp/culture/685

[2] https://japan.thenewslens.com/article/2643

[3] https://guidablejobs.jp/contents/country-characteristics/560/

[4] https://global-saponet.mgl.mynavi.jp/know-how/2747

[5] https://www.yolo-work.com/10819

 


台湾人と中国民族との違いは何ですか。

台湾人と中国民族の違いは、主に以下の点において明確です。

アイデンティティの違い

・台湾人の自己認識  
  台湾人は自らを「台湾人」として認識する傾向が強く、特に若い世代ではその意識が顕著です。2020年の調査によると、台湾国民の約66%が自分を台湾人と考え、中国人とは認識していないと答えています[1]。これは、台湾の人々が政治的な独立性を重視し、民主主義の中で育った背景から来ています。

・中国人の認識  
  一方、中国民族は中華人民共和国に属し、共通の文化や歴史を持つと認識されています。中国政府は台湾を自国の一部と見なしており、台湾人を中国人の一部として扱う立場を取っています。

政治体制の違い

・台湾の政治体制  
  台湾は民主的な選挙を通じて指導者を選出し、自由な言論や集会の権利が保障されています。この政治体制は、国民党政府が戒厳令を解除した1987年以降に発展しました。

・中国の政治体制  
  中国は一党独裁制を採用しており、共産党が国家を支配しています。このため、政治的自由は制限されており、政府に対する批判は厳しく抑圧されています。

文化と歴史の違い

・多様な文化背景  
  台湾は多民族国家であり、漢民族だけでなく、先住民族も含まれています。台湾の文化は、オランダ、日本、漢民族の影響を受けており、独自の文化が形成されています[2][3]。

・歴史的背景の違い  
  台湾は、清朝、オランダ、日本などの支配を受けてきた歴史があり、これが台湾人のアイデンティティ形成に影響を与えています。対照的に、中国本土は長い間一つの国家としての歴史を持ち続けています。

経済的な視点

・経済関係の違い  
  台湾人は中国との経済関係を重視しつつも、政治的な関係の緊密化には慎重です。約60%の台湾市民が中国に対して否定的な見解を持っており、政治的な統合には抵抗感があります[1]。

これらの違いにより、台湾人と中国民族は、民族的、政治的、文化的に異なる存在として認識されています。台湾人は自らのアイデンティティを強く意識し、独自の文化と政治体制を持つ存在としての自覚を持っています。

Citations:
[1] https://ipdefenseforum.com/ja/2021/02/%E5%8F%B0%E6%B9%BE-%E4%B8%96%E8%AB%96%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%AE%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%80%81%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AF%E8%87%AA%E3%82%89%E3%82%92-%E9%9D%9E%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8/
[2] https://diamond.jp/articles/-/298027
[3] https://honichi.com/news/2020/02/05/taiwanchina/
[4] https://gendai.media/articles/-/97080?page=3
[5] https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-62403702

 


台湾の歴史について教えてください。
時系列に、箇条書きで。

〇先史時代  
  ・約300万年前から1万年前: 台湾は中国大陸と接続しており、初期の人類が移住。
  ・紀元230年: 三国時代の呉が台湾を探索。
  ・607年: 隋の将軍が台湾を探索。
  ・1281年: 元朝澎湖諸島を領有。

〇オランダ植民統治時代 (1624年 ・1662年)  
  ・1624年: オランダの東インド会社が台湾を制圧。
  ・1626年: スペインが台湾北部に進出。
  ・1642年: オランダがスペインを追放。

〇鄭氏政権時代 (1662年~1683年)  
  ・1661年: 鄭成功がオランダを追放し、台湾を支配。
  ・1683年: 鄭氏政権が清朝に降伏。

清朝統治時代 (1683年~1895年)  
  ・1684年: 台湾が福建省編入
  ・1858年: 天津条約で港が開港。
  ・1895年: 下関条約により台湾が日本に割譲。

〇日本統治時代 (1895年~1945年)  
  ・1895年: 日本が台湾総督府を設置。
  ・1945年: 第二次世界大戦後、台湾が中華民国に返還。

中華民国時代 (1945年以降)  
  ・1947年: 二・二八事件が発生。
  ・1949年: 中華人民共和国成立、国民党が台湾に移転。

このように、台湾の歴史は多様な支配者による影響を受けており、先住民から始まり、オランダ、鄭成功清朝、日本、そして中華民国へと変遷してきました[1][2][4][5]。

Citations:
[1] https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=15735
[2] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8
[3] https://www.komazawa-u.ac.jp/~kobamasa/reference/nenpyo/taiwanhs.html
[4] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
[5] https://yukyusekai2.web.fc2.com/rekishi/rekishi-taiwan20.htm



日本に1895年に割譲された台湾はどのような状態でしたか。

1895年に日本に割譲された台湾は、以下のような状態でした。

〇政治的混乱  
  ・清朝からの割譲に対する強い反発があり、台湾では台湾民主国(Formosa Republic)が短期間成立しました。これは清朝の官僚や地元の指導者たちによって宣言されましたが、国際的な承認は得られず、わずか1週間で日本軍に制圧されました。

〇軍事的対立  
  ・日本軍は1895年5月29日に台湾に上陸し、基隆を占領しましたが、台湾民主国軍との激しい戦闘が続きました。特に台南での戦闘が重要で、10月21日に台南が陥落するまで、抵抗が続きました。この間、台湾の住民による義勇兵の抵抗もありました。

〇社会的混乱  
  ・日本の侵攻により、台湾は大きな混乱に見舞われました。清朝の官僚が職を追われ、住民の間には不安と恐怖が広がりました。日本軍の到来に対して、住民たちは様々な形で抵抗を試みましたが、最終的には日本の軍事力に敗れました。

〇経済的状況  
  ・台湾の経済は、清朝の統治下であまり発展していなかったため、農業を中心とした貧しい状態でした。日本はこの後、台湾のインフラや経済を整備する計画を進めることになりますが、初期の頃は混乱が続いていました。

〇文化的影響  
  ・日本の統治が始まると、台湾の文化や社会に対して日本の影響が強まることになりますが、1895年当初は住民たちの間で日本に対する抵抗感が強く、文化的な変化は徐々に進むこととなりました。

このように、1895年の台湾は政治的、軍事的、社会的に非常に不安定な状態にあり、割譲後の日本の統治に対する抵抗が続いていました。


1949年から1987年、国民党政府の台湾での戒厳令下の状況を具体的に教えてください。

1949年から1987年の間、国民党政府は台湾で戒厳令を敷き、以下のような状況が続きました。

戒厳令の長期化

・国民党政府は1949年5月20日に台湾で戒厳令を布告し、これが1987年まで実に38年間も続いた。これは世界で最も長期間の戒厳令でした。[1][2]

言論・集会の自由の抑圧

戒厳令下で、自由な言論、結社・政治活動の自由は抑圧されました。[1][2] 
・政府批判に対しては共産党ゲリラや親共産党のレッテルが貼られ、逮捕・拷問による弾圧が行われました。[1]

白色テロと人権侵害

・1949年から1950年代中期にかけて、反乱団体の摘発を名目とした弾圧「白色テロ」がピークを迎えました。[2]
・従来の研究では、1949年から1960年の間に約2,000人が処刑され、約8,000人が長期服役に処されたとされています。[2]

本省人外省人の対立

戒厳令下で、本省人(戦前から台湾に住む人々)は国民党に対抗し、政治的自由と民主化を模索しました。[3]
本省人の間には、大陸からやってきた国民党ではなく、台湾に生まれ育った自分たちが台湾の未来を決めるべきだという「住民自決」の意識が芽生えました。[3]

以上のように、国民党政府は台湾で長期にわたる戒厳令を敷き、本省人に対する弾圧と人権侵害を行いました。これに対し、本省人民主化と台湾独自のアイデンティティ形成を目指す運動を展開することになります。

Citations:
[1] https://www.y-history.net/appendix/wh1601-091.html
[2] https://www.waseda.jp/prj-wakai/en/east_asia/detail/?seq=7
[3] https://www.jiia.or.jp/report/keyword/key_0402_masuo.html
[4] https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/22290/1/4_P303-332.pdf
[5] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%9C%81%E6%88%92%E5%8E%B3%E4%BB%A4

Citations:
[1] https://www.jacar.go.jp/jacarbl-fsjwar-j/smart/about/p005.html
[2] https://www.jacar.go.jp/jacarbl-fsjwar-j/smart/main/18951021/index.html
[3] https://en.wikipedia.org/wiki/Taiwanese_Resistance_to_the_Japanese_Invasion_%281895%29
[4] https://en.wikipedia.org/wiki/Taiwan_under_Japanese_rule
[5] https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=15735
[6] https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-62403702
[7] https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasion_of_Taiwan_%281895%29

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村

 

映画ランキング