まだまだ暑い。
8時前に自宅を出て、8時30分に横堤駅に到着。
寝屋川は人工河川。江戸時代に大和川の付け替え工事、開墾が行われ現在の地形に
宝永元年(1704年)に大和川の付け替え工事が行われた。
その結果、深野池や新開池の水量が減少し、開墾が行える下地が作られた。宝永2年(1705年)、大和屋六兵衛と庄屋長兵衛が落札した開発利権を鴻池善右衛門宗利が譲り受け、伊勢から農民を入植させて開墾が行われ、鴻池新田として開発された。これに先立って、明暦元年(1655年)に新開池の西堤を切り開き、徳庵から今福までの千三百八十間(約2.5km)に大井路(徳庵井路)が開削された。この大井路(徳庵井路)が拡幅改修され「寝屋川」となった。「寝屋川」は人工河川。
横堤駅から南に横堤商店街を歩く。朝早いうちは影が長く、日陰を選んで歩くことができた。
寝屋川に平行に、古堤街道を東に。
この街道の一部は、遊歩道になっていた。
神輿庫と神木
開運を求めて、大きく呼吸した。
南に方向を変えて、寝屋川を渡る。
今津諸口橋から撮影。西に向けて。
東に向けて撮影。
川岸はまっすぐ。400年前に、2.5キロにわたって開削された。歴史を感じる。
左に方向を転じて、日枝神社。ここも、「諸口村」の氏神。
左に曲がるポイントがわからず、ここも探した。
少し、疲労感が。
水分摂取を心がけ、気づけば500mlのペットボトルのお茶2本とポカリスエット1本を飲んでいた。2か所探したこともあり、時間がかかった。
河内と摂津を結んだ枝切街道を北に。JR学研都市線が近くに。
寝屋川と古川の合流地点に徳庵神社。
寝屋川にかかる徳庵橋のあたりで、六郷井路と五箇井路が合流。
そして、少し下流に古川の合流点もある。
井路(いじ)とは、水路や灌漑用水路を指す言葉。
鶴見区では、昔から低湿地帯だったため、井路が網の目のように通っていた。水田やレンコン畑などの農業用水として、また舟で人や物を運ぶために活用。そして、舟がスムーズに動くために水位を調整する目的で水門が使用されていた。
枝切街道を北上すると道しるべ。「右ならみち 左京みち」
古川(東三荘橋) を渡り、ゴールへ。
休み、休みで3時間ほど。炎天下の街歩き。
「無理をしない」「無理はしない」と自分自身に言い聞かせながら最後まで遂行。大満足。
水都大阪の歴史をながめる
大阪の小学校や中学校では、このような歴史を学ぶ機会があるのであろうか。