昨日、7月13日、なんばパークスシネマで10時45分からの部を鑑賞。会場は6分ぐらいの入り。高校生の姿を多くみかけたのが印象的。

映画.COMから
日本で初めて新型コロナウイルスの集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」での実話を基に、未知のウイルスに最前線で立ち向かった医師や看護師たちの闘いをオリジナル脚本で描いたドラマ。
2020年2月3日、乗客乗員3711名を乗せた豪華客船が横浜港に入港した。香港で下船した乗客1名に新型コロナウイルスの感染が確認されており、船内では100人以上が症状を訴えていた。日本には大規模なウイルス対応を専門とする機関がなく、災害医療専門の医療ボランティア的組織「DMAT」が急きょ出動することに。彼らは治療法不明のウイルスを相手に自らの命を危険にさらしながらも、乗客全員を下船させるまであきらめずに闘い続ける。
対策本部で指揮をとるDMAT指揮官・結城英晴を小栗旬、厚生労働省の役人・立松信貴を松坂桃李、現場で対応にあたるDMAT隊員・真田春人を池松壮亮、医師・仙道行義を窪塚洋介が演じ、森七菜、桜井ユキ、美村里江、吹越満、光石研、滝藤賢一が共演。「劇場版コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」の増本淳プロデューサーが企画・脚本・プロデュースを手がけ、「生きてるだけで、愛。」の関根光才が監督を務めた。
2025年製作/129分/G/日本
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:2025年6月13日

5年前の2月、豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」のこと、いまだに記憶に新しい。医師の告発も生々しかった。
コロナ・パニック「それでも私が告発をやめない理由」――岩田健太郎医師インタビュー | 文春オンライン
杜撰な感染対応にその時 腹が立った。
当時のことを振り返ると、乗船者の命や健康、あるいは、命を救うために乗船した医療従事者のケアについての意識はなかった。
未知の脅威・新型コロナウィルスの感染拡大への恐怖しかなかった。
命の最前線で戦ったDMATや乗船スタッフ、受け入れ病院、などの苦闘の記録にただただ涙。DMATや厚労省の役員の献身的な姿に心を打たれた。
世の中捨てたものでない。








造形アーティストの両親のもと東京で生まれる。2005年に初監督の短編映画『RIGHT PLACE』を発表、ニューヨーク短編映画祭の最優秀外国映画賞などを受賞。2014年に手掛けたHONDA『Ayrton Senna 1989』はカンヌ広告祭チタニウム部門グランプリを受賞。2013年、社会的アート制作集団「NOddIN(ノディン)」で活動を始め、社会的イシューを扱った作品を発表する。2018年、初の長編劇場映画作品『生きてるだけで、愛。』で、新藤兼人賞・銀賞、フランス、キノタヨ映画祭・審査員賞などを受賞。同年、長編ドキュメンタリー映画『太陽の塔』を公開。2024年、『かくしごと』を公開し、ドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』で、ファッションのゴミと環境問題の関係性を見つめ、米・トライベッカ映画祭にて The Human/Nature Awardを受賞する。
2000年にフジテレビに入社し、「救命病棟24時」(05)、「Dr.コトー診療所2006」(06)、「はだしのゲン」(07)、「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」シリーズ(08・10・17・18)、「ニュース速報は流れた」(09)、「大切なことはすべて君が教えてくれた」(11)、「リッチマン,プアウーマン」(12)、「ゴーストライター」(15)などの数々のドラマと、『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(18)をプロデュースする。2019年にフジテレビを退社し、フリーランスのプロデューサー、脚本家として活動。2023年、2011年に起きた福島第一原子力発電所事故を、政府・電力会社・原子力発電所内の3つの視点から描く全8話のドラマ・シリーズ「THE DAYS」の企画・プロデュース・脚本を手掛ける。


映画の持つ力に感動だ。
当時の記憶を鮮明に呼び起こしてくれた。エッセンシャルワーカーへの敬意やWHOや各国の先進的な対応に希望をもらったこと。米疾病対策センター(CDC)など。
スタッフとキャストの力量に拍手。
私の評価 95点。
パンデミック終結の区切りとなったのは2年前の5月。
その時のブログ。
記憶はあっという間に風化してしまう。本当に痛感する。
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命をつなぐ最前線
― 災害派遣医療チーム「DMAT」の成り立ちと現在 ―
阪神・淡路大震災が突きつけた「初動医療」の限界
1995年1月、阪神・淡路大震災が関西圏を襲い、6,000人を超える命が失われた。この未曾有の災害において、被災者の多くは発災から数時間から数日のうちに命を落としたことが明らかになった。ここで浮かび上がったのが、「発災直後の医療支援体制の脆弱さ」であった。救命においては、いかに迅速に適切な医療を届けるかが生死を分ける鍵となる。「ゴールデン48時間」と呼ばれる救命の重要な時間に対応する専門チームの必要性が、災害対応の中で真剣に検討され始めたのである。
DMAT構想と制度化への道のり
この教訓を踏まえ、厚生労働省は2001年から「災害派遣医療チーム(DMAT)」のモデル事業を開始した。DMATとは、Disaster Medical Assistance Team の略称であり、大規模災害時に迅速かつ機動的に医療支援を行う専門チームである。チームは医師、看護師、調整員などで構成され、原則として発災から72時間以内に現地に赴き、初期のトリアージ(重症度分類)、応急処置、搬送調整などを担う。
2004年の新潟県中越地震において、DMATが本格的に運用され、初動対応における有効性が評価された。以後、都道府県ごとに「指定基幹病院」が整備され、そこに所属する職員がDMATとして登録・訓練を受ける体制が構築された。
数々の災害現場での活動実績
DMATはその後、日本各地の災害現場に出動してきた。2011年の東日本大震災では、数百のチームが東北地方に派遣され、津波被害による重傷者への対応や、避難所における継続的な医療支援を行った。2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震などでもDMATの活躍が報告されている。
2020年には、新型コロナウイルス感染症の集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」への対応においてもDMATが派遣された。感染症という新たな災害形態にも柔軟に対応する能力が求められ、DMATの存在意義はさらに高まった。
現在の体制と課題
2025年現在、全国には200以上の基幹病院がDMATの指定を受けており、約1万人以上の医療関係者が登録されている。チームはふだん病院勤務をしており、発災時に出動する体制をとっている。
しかし、課題も少なくない。第一に、医療人材不足の中で、通常診療と災害派遣の両立が難しくなっている。第二に、隊員自身が長期出動で心身に過度な負担を抱えることもある。さらに、感染症災害など新たなリスクにも対応できる専門体制の拡充が求められている。
市民とともに築く医療支援の未来
DMATは医療者のみで完結するものではない。迅速な出動には交通インフラや通信手段、行政との連携が不可欠であり、市民一人ひとりが「災害に備える」意識を持つことも重要である。医療と社会が一体となって、命を守る体制を築くことが、これからの日本にとって必要不可欠な課題である。
災害はいつどこで起こるかわからない。だからこそ、私たちはDMATという「命をつなぐ存在」が、いざという時に力を発揮できるよう、日ごろからその活動に目を向け、支えていく姿勢が求められる。
DMATは私たちにとって、かけがえのない存在である。
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