社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(354) 被爆79年

 

 

 

 

 

被爆された方の平均年齢は、85歳を超すという。
広島市長の問いかけ、現状への危機感を私も共有する。
 『自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。』
 『また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。』
『世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっていないでしょうか。』

 

 

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被爆79年、広島原爆の日 核抑止依存、政策転換を


広島市平和記念公園で始まった平和記念式典。奥は原爆ドーム=6日午前8時1分


平和記念式典であいさつする広島市松井一実市長
=6日午前8時17分、広島市平和記念公園




2024年08月06日 10時00分共同通信

 広島は6日、米軍による原爆投下から79年の「原爆の日」を迎え、広島市平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長は平和宣言で、ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やパレスチナ情勢の悪化で、世界情勢が混迷していると指摘。世界中の指導者に「為政者が断固とした決意で対話すれば、危機的な状況を打破できる」と訴えた。

 日本政府に対しては、各国が対話を重ね、信頼関係を築けるよう、核拡散防止条約(NPT)再検討会議でリーダーシップを発揮するよう求めた。来年3月の核兵器禁止条約第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となるよう要請した。

 国家間の疑心暗鬼を取り去るため、市民社会が対話することで「信頼の輪」を育むよう求めた。冷戦を終結させたゴルバチョフソ連大統領の言葉を紹介し、レーガン米大統領との対話で危機的な状況を打破した実例とした。

 式典では109カ国と欧州連合代表が出席。事実上の核保有国で、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルも出席した。

 

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「早く戦争がなくなってほしい」 
 原爆慰霊碑の前に祈りの列



平和記念式典で原爆投下時刻に合わせ黙とうする人たち=6日午前8時15分、広島市平和記念公園

2024年08月06日 10時42分共同通信


 今年も夜明け前から、慰霊碑の前に祈りをささげる人々の列が続いた。車いすで訪れた高齢者や幼い子を連れた若い夫婦、外国人観光客。原爆投下から79年となった6日、広島市中区平和記念公園では多くの人が静かに手を合わせた。「早く戦争がなくなってほしい」。今も続く世界の戦場へ平和が届くことを願う人もいた。

 広島市西区の中原里枝さん(80)は1歳の時に被爆。3歳で母親を原爆症で亡くした。「(戦後に)父は被爆のことを一切話さなかった。当時は差別もあり、つらかっただろう」と振り返る。自身も高齢となり「いつまで来られるか分からないが、見守ってくださいと祈った」と話した。

 


 平和宣言

  広島市長 松井 一實

皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエルパレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっていないでしょうか。こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。
平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。
戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。
1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。
皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。
昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。
本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。


こども代表 平和への誓い

 「平和をつくるのは私たち」

平和への誓い目を閉じて想像してください。緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。立ち昇る黒味がかった朱色の雲。人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。
あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。一人一人が相手の話をよく聞くこと。「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。私たちにもできる平和への一歩です。さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
  
   こども代表 広島市祇園小学校6年 加藤晶
        広島市立八幡東小学校6年 石丸優斗
 

 

 

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