世論調査で 各メディアで これほどの差。
それだけ、各自の意識が流動的ということか。
世論がどう動いているか、自分の眼で見て、頭で考えて判断すべきだということだ。
ウクライナ侵攻を1年余 見てきて不安感が拭えないこと、かといって、みんな諸手を挙げて、軍備増強・拡大に賛成というわけではない。
憲法について改めて学ぶ。
国会図書館と衆議院憲法審査会事務局作成資料のふたつ。
国立図書館の資料
日本国憲法の制定には、国の外からと内からの双方の力が働いている。
外からの力とは、日本の敗戦により、「ポツダム宣言」を実施するために必要な措置をとる連合国最高司令官のもとで、大日本帝国憲法(明治憲法)の変革が求められるようになったことである。内からの力とは、戦時中、軍部の行った政治支配によって、敗戦当時、もはや戦前の議会制度をたんに修復させるだけでは、国民の期待する「民主主義」を実現することができないまでに、明治憲法体制は深く傷ついていたことである。
憲法制定の経過は、1946(昭和21)年2月13日を「ターニング・ポイント」として、その前後で大きく二つの段階に区分される。前者は、1945(昭和20)年10月、最高司令官が「憲法の自由主義化」を示唆、これをうけて日本政府による明治憲法の調査研究が開始され、翌1946年2月、改正案(憲法改正要綱)が総司令部に提出されるまでの段階である。後者は、2月13日、総司令部が日本側の改正案を拒否し、逆に、自ら作成した原案(GHQ草案)を提示することで、局面が転回し、新たな憲法の制定・公布にまで至る過程である。
この二つの段階ないし局面を通じて、国内外の様々な政治的、社会的、その他もろもろの力が複雑に絡み合うなかから、日本国憲法が作り出されるのである。
◎ 衆議院での採決 1946年8月324日
衆議院憲法審査会の調査に資するため、幹事会の協議決定に基づいて、衆議院憲法審査会事務局において作成・編集等を行っている資料 90 2016年11月
「日本国憲法の制定過程」についてわかりやすい