社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(107) 民主主義とは何だろう。

 

 

 

 

世の中の政治が ” 民主主義 対 専制主義 ” との対立構造で語られることに違和感がある。

そもそも、「民主主義を守れ」という掛け声は空虚だ。
その民主主義が誰のためのものであるのか明瞭でないからだ。
資本家のための民主主義か、労働者のための民主主義かが大事。
資本家のための民主主義はブルジョア独裁であり、労働者のための独裁はプロレタリア独裁だと理解してきた。
権利は戦い取った途端、支配のための道具になる。だから、民主主義は不断に戦い取るものだ。
こうした考え方は、極端であろうか。

改めて、民主主義に目を向けてみたいと思う。

 

 


民主主義 - Wikipedia

 

民主主義(みんしゅしゅぎ、英: Democracy、デモクラシー)とは人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理、政治運動、政治思想である。日本では民主制、民主政体などとも訳される。

民主主義という用語は古代ギリシャで「多数者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。

民主主義には直接民主制と間接民主制の間の議論があり、また自由主義的なブルジョワ民主主義(自由民主主義)の他に、経済的平等を重視する社会主義によるプロレタリア民主主義なども登場した。

なお政治の分野で権威主義は反民主主義を意味する。


デモクラシー 概要

「デモクラシー」(英語: democracy)の語源は 古代ギリシア語: δημοκρατία(dēmokratía、デーモクラティアー)で、これは「人民・民衆・大衆」などを意味する δῆμος(古代ギリシア語ラテン翻字: dêmos、デーモス)と、「権力・支配」などを意味する κράτος(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」、「国民主権」などの意味を持つ。

「デモクラシー」は、優れた人(貴族)による権力・支配を意味する「アリストクラティア」(貴族制や寡頭制などと訳される)との対比で使用された。両者は権力者や支配者の多寡(多数派か少数派か)に注目した用語である。なお「アリストクラティア」( ἀριστοκρατία(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratía)は「優れた人」を意味する ἄριστος(古代ギリシア語ラテン翻字: aristos、アリストス)と、 「権力・支配」を意味するκράτος を組み合わせたものである。

しかし古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになり、古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず、王政を廃止して元老院と市民集会が主権を持つ体制は「共和制」と呼ばれた。

近代の啓蒙主義により「デモクラシー」は自由主義思想の用語として再び使われるようになった(自由民主主義)。近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、清教徒革命でのレヴェラーズ(Levellers、平等派、水平派)であり、更にフランス革命により君主制・貴族制・神政政治などと対比され、また20世紀以降は全体主義との対比でも使用される事が増えた。なお政治学では、非民主主義の総称は「権威主義権威主義政体)」と呼ばれる。

(略)


17世紀以降、啓蒙思想による自由主義が主張され、ヴォルテール自由主義や人間の平等を主張した。
17世紀、清教徒革命でリヴェラベーズ(平等派)が「民主主義」の用語を使用して社会契約や普通選挙を要求した。また人民主権の理論として社会契約論が唱えられた。
ホッブスの社会契約論は、権力の正統性を神ではなく被支配者である人民に求めたが、国民による統治は構想しなかった。
次にジョン・ロックの社会契約論は、更に国民の抵抗権(革命権)を認め、アメリカ独立革命に影響を与えた。
またジャン・ジャック・ルソーの社会契約論は、堕落した文明社会を変革する方法として人民が一般意思(公共我)を創出するとし、また代表制を批判し直接民主主義の理念を提示し、後のフランス革命に影響を与えた。
モンテスキューブルジョワジー、特に知識階級の自由を権力の専制からいかに保障するかを考え、権力分立の形態として三権分立を構想した。


アメリカ独立革命

1775年、アメリカ独立革命が発生した。
アメリカのイギリス植民地では、植民地への重税や植民地からの輸入規制等への不満から、ミルトン、ハリントン、ロックの理論を学び、基本的人権と代表制(「代表なくして課税なし」)を確立した。
1776年 トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言では社会契約論、人民主権、抵抗権(革命権)が明文の政治原理として採用された。各植民地は憲法制定など共和国としての制度を整え、タウンミーティングなど直接民主主義の伝統が形成されていった。特にペンシルベニアバージニア等の共和国憲法は、人民の意思の反映、議会の優位を強く打ち出し、連邦の強化は専制に繋がるものとして警戒された。

独立戦争後の財政危機、無産階級の台頭による政治不安の中、有産階級は各植民地共和国の独立・自治を見直し、強力な中央連邦政府の樹立へ向かった。1787年採択のアメリカ合衆国憲法は、多数派の権力もまた警戒すべしとの考えから、権力分立の徹底と社会秩序の安定を重視し、議会の二院制、議会から独立した強力な大統領による行政権、立法に優位する司法権を確立した。この結果、ブルジョワジー中心の体制が確立した。その後、ジェファーソン流民主主義とジャクソン流民主主義が2大潮流となり、また大衆社会による議会制度の形骸化を受けて草の根民主主義も提唱された。

アメリカ独立宣言 (1776年)
われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。その権利を保障するものとして、政府が国民のあいだに打ち立てられ、統治されるものの同意がその正当な力の根源となる。そしていかなる政府といえどもその目的に反するときには、その政府を変更したり、廃したりして、新しい政府を打ちたてる国民としての権利をもつ。


フランス革命

1789年からのフランス革命では、1791年憲法人民主権、一般意思、主権の分割譲渡不可が明記された。更に1793年憲法ジャコバン憲法)で、抵抗権、直接民主主義的要素などルソーの影響を強く受けた憲法が制定されたが、施行されずに終わった。


(人間および市民の権利の宣言)
第1条 人間は、自由かつ権利において平等として生まれ、かつ生存する。
第3条 すべての主権の根源は、本質的に国民にある。第6条 法律は一般意思の表明である。すべての市民は、個人的、または彼らの代表者によって、その作成に協力する権利を持つ。

フランス1791年憲法
第11条 主権は1つで、分割できず、譲り渡すことができず、かつ時効にもかからない。主権は国民に属する。(後略)
第56条 フランスには、法律の権威に優越する権利は存在しない。国王は、法律によってのみ統治し、かつ国王が服従を強要することができるのは、ただ法律の名においてのみである。


(人および市民の権利の宣言)
第33条 圧政にたいする抵抗は、人間のほかの権利の当然の結果である。

フランス1793年憲法
第7条 主権者人民は、フランス市民の総体である。
第10条 主権者人民は、法律を審議する。

(略)


思想
民主主義に関する思想、見解、発言には多数のものがあるが、世界的に著名なものには以下がある。
 ( ホッブズ、ロック、ルソー、レーニンの4名のみ紹介する daihumiaki  )

トマス・ホッブズ
17世紀の清教徒革命の時代にトマス・ホッブズは従来の王権神授説に対して社会契約論を唱え、権力の正統性を人民に求めた。ホッブスは著作『リヴァイアサン』で「人間の人間としての権利」として自然権を主張し、全ての人間は生まれながらにして自由平等だが、自然状態は万人の万人に対する闘争のため、法の支配を実現するために支配服従契約を結んだと主張し、後の基本的人権に繋がった。ただしホッブスは、各個人は自然権行使権の全てを放棄して国家主権者(国王)に委ねたとし、契約により成立した国家への抵抗権や参政権は否定した。

自然権とは、各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の欲するままに彼自身の力を用いるという、各人の自由である。従って、かれ自身の判断と理性において、そのために最も適当と思われるあらゆる事を、行う自由である。
— トマス・ホッブズリヴァイアサン』第14章


ジョン・ロック
17世紀の名誉革命時代にジョン・ロックは著作『統治二論』等で、人間は自然権を持つが、社会の秩序を守るために国民の信託により政府を設立したのであり、仮に政府が国民の意思に反する場合には抵抗権(革命権)を行使して政府を変える事が可能とした。ロックは人間は理性により自然法に従って生きる事が可能であり、社会契約により自然権の一部(解釈権)を国家に委ねたが、それ以外の自然権は留保しており、公権力が私人の生命・自由・財産を侵害する場合には統治契約違反として抵抗して戦う権利を肯定した。またハリントンの提唱した権力分立制を発展させ、立法権と行政権を分離し、立法権を有する国会が最高権を有すると主張し、イギリスで伝統的に形成されてきた立憲主義・権力分立・議会主義を社会契約論から理論づけた。


ジャン=ジャック・ルソー
18世紀、ジャン=ジャック・ルソーは著作『人間不平等起源論』、『エミール (ルソー)』、『社会契約論』などで、人間は生来自由であるが、社会秩序のために社会契約を結んで国家成立したため、その政府は人民の一般意思に従う必要があるとした。一般意思とは「ただ共通の利益だけを考慮する」もので、特殊意思の総和である全体意思とは異なり、「常に公明正大であり、公共的な功利に向かっている」ものとした。主権は一般意思の行使であり、譲渡や分割や、一般意思からの逸脱はできない。ルソーは主権者である人民は立法権を行使し続けるべきと主張し、代表者(議員)という発想を、中世以来の政治的堕落の産物として批判した。また、すべての政体には特色と欠点があるが、最低限執行権と立法権の分離が必要で、定期的集会により政府の形態や執行者について投票で決めるべきとした。ルソーの社会契約論はホッブスやロックとは大幅に異なり、ギリシャのポリスを理想とし、社会契約による変革が不可能な時は天才的立法者の独裁による一般意思の強制的創出をも提唱しているが、代表制の欺瞞を指摘し直接民主主義の理念を提示した。

人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖につながれている。あるものは他人の主人と信じているが、事実は彼ら以上に奴隷である。国家的秩序は神聖な権利で、他のあらゆる権利の基礎をなしている。それにもかかわらず、この権利は自然から由来するものでなく、したがっていくつかの合意にもとづくものである。(中略)最強者であっても、自己の力を権利に、彼に対する服従を義務に変えなかったならば、いつでも支配者でいられるほど強力なわけではない。(中略)自己保存のためには、力を集合して力の総和をつくって、障害の抵抗を克服できるようにし、ただ一つの原動力でこれらの力を動かし、そろって作用させるよりほかに方法はない。
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』第1編
(イギリス人は)自らが自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるや否や、彼らは奴隷となる。(中略)主権が譲り渡すことができないと同じ理由で、主権は代表されることはできない。それは本質的に一般意思に存する。そして意思は代表されない。意思は自分のものか、あるいは他人のものである。その中間はない。それゆえに、人民の代議士は一般意思を代表しているものでもないし、代表することもできない。彼らはその用達人でしかない。彼らは決定的に何ものも決めることはできない。人民が誰も批准しなかった一切の法律は無効である。それは法律ではない。
— ジャン=ジャック・ルソー

 

レーニン
ウラジーミル・レーニンは、著作『国家と革命』で、国家は階級対立とともに発生した支配階級の被支配階級抑圧のための機関で、ブルジョワ議会主義などの小ブルジョア民主主義は欺瞞であり、社会主義の実現のためにはブルジョア国家を暴力革命によって粉砕してプロレタリア独裁を行う必要があり、その後の社会主義国家はコミューン型国家で、そのもとで民主主義はいっそう発展し、更に共産主義社会への移行とともに国家は死滅すると主張した。

支配階級のどの成員が議会で人民を抑圧し、蹂躙するかを、数年にただ一度決めること - この点に議会制立憲国をはじめ最も民主的な共和国においてもブルジョア議会主義の真の本質がある。(中略)議会制度からの活路は、もちろん、代議機関と選挙制の廃棄にあるのではなく、代議機関をおしゃべり小屋から「行動的」団体へ転化することにある。「コンミューンは、議会ふうの団体ではなくて、執行府であると同時に立法府でもある行動的」団体でなければならなかった。(国家が社会の名において生産手段を掌握した後の、すなわち社会主義革命後の時代では)この時期の「国家」の政治形態がもっとも完全な民主主義であることを、われわれはみな知っている。(中略)民主主義もまた国家であり、したがって、国家が死滅するときには民主主義もまた消滅する。(中略)あらゆる国家は、被抑圧階級を「抑圧するための特殊な力」である。だから、あらゆる国家は不自由で、非人民的である。
ウラジーミル・レーニン『国家と革命』

(略)

 

                                                                      は momodaihumiaki  

 

ヤフーの記事を紹介する。

世界人口の71%が「独裁に分類される国に住む」という衝撃

news.yahoo.co.jp

 

  

ourworldindata.org

  

現在、半数以上の国が民主主義国です
インタラクティブ マップは、RoW 分類を使用した場合に、2022 年に各国で選挙民主主義がどのくらい古いものであったかを示しています。棒グラフは年齢別に国の数を合計しています。

この分類と V-Dem の専門家の評価に基づくと、2022 年に民主主義国だったのは全国の半分のみであることがわかります。データが入手可能な 178 か国のうち、90 か国が有意義で自由かつ公正な複数政党による選挙を実施しました。

これは、他の 88 か国に住む人々にとって、権威主義的な政府は記憶ではなく、現在の経験であることを意味します。

     ( 「世界中の民主主義は何歳ですか」
          バスティアン・ヘレ 2022 年 2 月 3 日 から )

                                                                                          は momodaihumiaki


日本は「選挙民主主義国」で71年の歴史  (1952年から)。
韓国も「選挙民主主義国」で35年の歴史(1988年から)。

中国は「閉鎖独裁国」、ロシアは「選挙独裁国」。 
インドは「選挙独裁国」。

 

「閉鎖独裁国」は30ヶ国。
「選挙独裁国」は88ヶ国。

「選挙民主主義国」は80ヶ国。




長い間選挙民主主義を維持してきた国はごくわずかです。カナダ、フィンランドアイスランドアイルランドニュージーランドスウェーデン、英国、米国の 8 か国は、1 世紀以上にわたって選挙民主主義を維持してきました。このデータによると、それよりも長く選挙民主主義を維持してきたのは 2 つの国だけです。19 世紀半ばから民主主義を維持してきたのはオーストラリアとスイスです。

したがって、これらの国の民主主義は、すべての市民よりも古いか、すべての市民に近いものです。しかし、これは、これらの国のすべての人がそれ以来民主的な政治的権利を享受してきたことを意味するものではありません. たとえば、オーストラリア政府とスイス政府は、それぞれ1902 年と1971 年まで、女性の投票と選挙に立候補することを禁じました。
     ( 「世界中の民主主義は何歳ですか」
          バスティアン・ヘレ 2022 年 2 月 3 日 から )

 




 

 

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