
この写真は、https://stock.adobe.com/ からダウンロード。1か月の無料トライアルを利用した。
日経平均株価、初の5万円超え 「高市トレード」けん引|47NEWS(よんななニュース)

史上初めて5万円を超えた日経平均株価を示すモニター
=27日午前、東京・東新橋
2025年10月27日 11時55分共同通信
週明け27日午前の東京株式市場は、日経平均株価(225種)が急伸し、取引時間中として初めて5万円を超えた。高市早苗首相の経済財政政策に期待した「高市トレード」が株高をけん引する中、米国と中国の貿易摩擦激化への不安が後退。前週末の米国株高も波及し、上げ幅は一時1100円を超えた。
午前終値は前週末終値比1037円71銭高の5万0337円36銭。東証株価指数(TOPIX)も52.03ポイント高の3321.48となり、取引時間中の最高値を更新した。
平均株価は取引開始直後に5万円を超え、ほぼ全面高の展開となった。株価水準の高い半導体検査装置大手アドバンテストなど、ハイテク銘柄の上昇が目立った。買い一巡後は当面の利益を確定する売りも出て、上げ幅を縮める場面もあった。
前週末の米国市場では、9月の消費者物価指数(CPI)の上昇率が市場予想を下回り、連邦準備制度理事会(FRB)による追加利下げの観測が強まった。主要株価指数がそろって最高値を更新し、東京市場もこの流れを引き継いだ。
日経平均5万円は「通過点」なのか…焦点は日米関係 暮らしに恩恵は [高市早苗総裁 自民党総裁]:朝日新聞
「倫理の火」をたぎらせる原動力は、どこにあるのであろうか。
働く者、生活者の冷静な目と様々な手段で真実を伝える努力だ。
働く場、生活の場、などから 小さな声だとしても 一つずつ、一つずつ、積み上げていくことではないか。
東京株式市場五万の大台——浮かれの影に潜む問い
・東京株式市場が史上初めて五万円を超えた。
・ニュースは華やぎ、政治も経済も「明るい兆し」と語る。
・だが、これは誰の希望なのか。
・それは「持てる者」「富める者」の期待の映しではないか。
株式市場は社会の鏡である。
企業の実力と投資家の期待と世界の空気が交錯する場所である。
株価が上がるとは、企業の利益が増え、資本の動きが活発になっている証左である。
しかし、それは「経済の健康」を映していても、「社会の幸福」を映しているとは限らない。
富める者の期待と、持たざる者の現実
・株式市場の主役は資産を持つ層である。
・株価上昇の恩恵は、株主、経営者、投資家に集中する。
・庶民は賃上げの遅れと物価高に苦しみ、円安は生活を圧迫する。
企業は内部留保を積み上げ、利益を再分配せずにため込む。
500兆円を超えるその資金は、働く者の賃金には届かない。
株価が上がっても家計は温まらず、景気の実感は地表に届かない。
「株価が上がる=社会が良くなる」という幻想は、ここで崩れる。
新自由主義の再来
・規制を緩めよ、競争を促せという声がまた強まっている。
・それは「合理的な政策」のように見えて、富の偏りを固定化する処方箋でもある。
・企業に自由を、労働者に我慢をという構図が復活しつつある。
「新しい資本主義」と言いながら、結局は古い自由競争に戻る。
賃上げは企業任せ、社会保障は自助努力。
成長の果実は再び上位層に集まり、格差は拡大する。
倫理なき市場は、短期的には繁栄をもたらすが、やがて社会の基盤を侵食する。
渋沢栄一の忘れられた倫理
・渋沢栄一は「道徳と経済の合一」を唱えた。
・利益は公共に資するものでなければならないと説いた。
・その倫理は、資本を社会の中で循環させる知恵であった。
だが現代の市場は、倫理よりも効率を、公共よりも株主を重んじる。
CSRもESGも語られるが、実態は広報の一環にすぎない。
利益を得ること自体が悪ではない。
しかし、利益の得方が非倫理的であれば、社会は長続きしない。
倫理ある資本主義 2.0 への転換
・今こそ必要なのは「倫理ある資本主義 2.0 」である。
利益の最大化=「従来の資本主義 1.0 」からの脱却。
資本の暴走を止めることができるか。
・それは単なる道徳の回復ではなく、資本の運用・国家の制度を再設計する思想である。
この資本主義 2.0 では、「儲け方」を問う。
誰が利益を享受し、誰が犠牲になっているのかを問う。
環境を壊し、労働を搾り、地域を疲弊させる成長は、もはや成長とは言えない。
本当の豊かさとは、利益の持続と公平が共存する状態である。
国家は企業に「倫理的経営」を促す税制を、
企業は「従業員・地域・環境」を利害関係者として扱う仕組みを、
教育は「利益の質」と「社会的責任」を教える場を、それぞれ備えねばならない。
これら三つ——税、雇用、教育——の改革が連動してこそ、
資本主義は再び人間のための制度として息を吹き返す。
ここでも、政治家の「裏金・脱税」問題への向き合い方が試金石となる。
浮かれの先にあるもの
・株価五万の高値に歓声が響くとき、
その足元で、生活に追われる人々の沈黙が広がっている。
・市場の高揚と、生活の疲弊——その乖離は危険信号である。
浮かれてはいけない。
株式市場が盛り上がること自体は悪ではない。
だが、それをもって「社会が良くなった」と錯覚することが、最大の落とし穴である。
富は動いているが、偏っている。
成長しているが、循環していない。
この国の真の課題は、成長率でも株価でもなく、
分かち合う力を取り戻せるかどうかである。
終わりに——経済の熱を、倫理の火で制御せよ
倫理なき繁栄は長続きしない。
資本の暴走を止めるのは、規制ではなく、理念である。
渋沢栄一の言葉を借りれば、「道徳なき経済は罪悪」である。
株価五万は、祝うべき到達点であると同時に、
社会がどこに向かうかを問う鏡である。
私たちが浮かれずに見つめるべきは、数字の上昇ではなく、
その背後にある「誰の幸福が増えているのか」という問いである。
この問いを手放した瞬間、
社会は再び“倫理なき自由”の渦に呑まれていく。
浮かれの影に警鐘を——今、それを鳴らすときである。

