隣国・韓国の状況が気がかりだ。
敗戦前は、日本の植民地支配のもとで、戦後は、冷戦下で朝鮮半島の分断・固定化の中で歴史を刻んできた。
無関心でいられるはずがない。
戒厳令再宣布の報道相次ぐ、韓国野党議員が警戒=聯合ニュース | ロイター
韓国で「再戒厳令」の憶測広がる…野党代表「今夜が非常に危険」、国防省は「要求あっても絶対受け入れない」 : 読売新聞
韓国で「再戒厳令」の憶測広がる…野党代表「今夜が非常に危険」、国防省は「要求あっても絶対受け入れない」
2024/12/06 17:52
【ソウル=小池和樹】韓国の 尹錫悦ユンソンニョル 大統領が戒厳令の一種「非常戒厳」を宣布したことを巡り、韓国国防省は6日、「(再び)戒厳令宣布に関する要求があっても絶対に受け入れない」とする立場を表明した。
国会への兵士の侵入を防ぐために消火器を噴射する国会職員ら(4日)=聯合AP
韓国内では同日、軍の人権状況を監視する市民団体が、複数の軍部隊が非常招集への準備指示を受けたとして「非常戒厳を疑う状況がある」と発表。尹氏が 弾劾だんがい 訴追案の採決に合わせて再び戒厳令宣布に踏み切るのではないかという臆測が広がった。最大野党「共に民主党」の 李在明イジェミョン 代表も同日、「今夜が非常に危険だ」と話した。
国防省はこうした情報について「全く事実ではない」と否定。「本来の任務にまい進しながら国民の安全と平穏な日常を守る」とした。
今のところ韓国の市民に死傷者が出たとの報道はない。
Perplexity の回答
今回の戒厳令下での「兵士らの国会議事堂への乱入」において、市民が直接傷つけられたという明確な報告はありません。しかし、以下のような緊迫した状況が発生しました:
- 約280人の武装した兵士が国会敷地内に突入しました[1][4]。
- 兵士たちは国会議事堂の2階事務室のガラスを割って乱入しました[1][3]。
- 市民らは兵士の進入を阻止しようと「人間の鎖」を作り、一部でもみ合いになる場面もありました[3]。
- 上空には軍用ヘリが飛行し、24回にわたり兵士を運び込みました[3][4]。
- 約50人の兵士が国会の周囲を取り囲む塀を乗り越えて侵入しました[4]。
これらの行動は市民や国会議員に大きな不安と緊張をもたらしましたが、幸いにも大規模な暴力的衝突や市民の負傷といった深刻な事態には至らなかったようです。国会は迅速に非常戒厳の解除を要求する決議案を可決し、戒厳令はわずか6時間で解除されました[2]。
Citations:
[1] https://mainichi.jp/articles/20241204/k00/00m/030/093000c
[2] https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000389264.html
[3] https://mainichi.jp/articles/20241204/k00/00m/030/066000c
[4] https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/world/mainichi-20241204k0000m030093000c.html
[5] https://japan.hani.co.kr/arti/politics/51821.html
[6] https://news.yahoo.co.jp/articles/6861c9884dfd308753505a06e446cce28b77e386
[7] https://www.perplexity.ai/elections/2024-11-05/us/president
44年前の光州事件が思い起こされる。



Perplexity の回答
韓国において1965年 (日韓基本条約締結) 以降、軍が市民に銃を向け、死傷者が出た事例がいくつかあります。
主な事件を時系列で整理すると以下のようになります:・5月18日:全斗煥らによる軍事クーデターに抗議する学生・市民のデモが光州で発生。
・5月21日:軍が民衆に対して一斉射撃を行い、多数の死傷者が出る。市民は武装し、市民軍を結成。
・5月27日:軍が武力鎮圧を実行。戦車や武装ヘリを動員し、投降した市民も射殺。
・犠牲者:政府発表で死者195人(民間人168人、軍人23人、警察4人)、負傷者4,782人、行方不明406人。
その他の事例
1965年以降、光州事件以外にも軍が直接市民に銃を向けた大規模な事例は確認できませんでした。しかし、1980年代を通じて民主化運動に対する政府の弾圧は続き、警察による暴力的な鎮圧は行われていました。
影響と後続
・光州事件は韓国の民主化運動の原点の一つとなり、1987年の6月民主抗争の原動力となりました。
・1997年に光州事件は国の記念日となり、2001年には事件関係者を民主化有功者とする法律が制定されました。
・2004年1月29日、金大中に対する内乱陰謀の死刑判決が無罪となりました。
この事件は韓国の近代史において最も重要な出来事の一つとされ、民主主義への転換点となりました。
Citations:
[1] https://www.y-history.net/appendix/wh1703-053.html
[2] https://kotobank.jp/word/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6-169778
[3] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
[4] https://www.hanatas.jp/culture/history/98/
Perplexity の回答
1970年代と1980年の戒厳令、そして今回の戒厳令には、いくつかの類似点と相違点があります。
類似点
政治活動の制限三つの戒厳令はいずれも、政治活動を厳しく制限しました。1980年の戒厳令では「政治活動の停止、言論・出版・放送などの事前検閲、大学の休校などが盛り込まれ」ました[4]。今回の戒厳令でも「国会や地方議会、全ての政党活動と集会、デモを禁じる」との布告が出されています[3]。
軍の介入いずれの戒厳令でも、軍が政治に介入しました。1980年には「軍隊を派遣して民衆を弾圧した」とあり[4]、今回も「兵士らが国会議事堂に乱入した」と報告されています[3]。
相違点
目的1970年代のパク・チョンヒ大統領の戒厳令は「憲法を改正する」ことが目的でした[4]。1980年のチョン・ドゥファンの戒厳令は権力掌握が目的でした[5]。一方、今回の戒厳令は野党を「反国家勢力」と決めつけ、政権運営の行き詰まりを打開するためとされています[7]。
期間過去の戒厳令は長期間続きましたが、今回の戒厳令は約6時間で解除されました[3]。
国民の反応1970年代と1980年の戒厳令時には厳しい統制下に置かれましたが[8]、今回は国民の即時の抗議行動により、戒厳令が短時間で解除されました[7]。
民主主義の成熟度1970年代と1980年は軍事独裁政権下でしたが、今回は民主化された韓国で起こりました。そのため、今回の戒厳令は「時代錯誤的」と評価されています[1]。
このように、今回の戒厳令は過去のものと比べて短命で、国民の抵抗により迅速に解除されたという点で大きく異なっています。これは韓国の民主主義の成熟を示すものと言えるでしょう。
Citations:
[1] https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241205/k10014659421000.html
[2] https://www.cnn.co.jp/world/35226918-2.html
[3] https://mainichi.jp/articles/20241204/k00/00m/030/351000c
[4] https://www.y-history.net/appendix/wh1603-084.html
[5] https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d62cc9c189996255c5dc32ecc45849c63a21148c
[6] https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/51807.html
[7] https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-12-06/2024120602_01_0.html
[8] https://news.yahoo.co.jp/articles/8e710b3f92b36996b0b80cdc4d0a154575a3c8c2
[10] https://www.perplexity.ai/elections/2024-11-05/us/president
Perplexity の回答
韓国の戒厳令の法的根拠は、主に大韓民国憲法と戒厳法に基づいています。
憲法上の根拠
大韓民国憲法第77条が戒厳令の基本的な枠組みを規定しています[4]。
1.宣布権限:大統領に戒厳令を宣布する権限を与えています。
2.宣布条件:
・戦時
・事変
・これらに準ずる国家非常事態
3.目的:
・軍事上の必要に応じる
・公共の安寧秩序を維持する
4.国会への通報義務:大統領は戒厳令宣布後、遅滞なく国会に通報しなければなりません。
5.国会による解除要求権:在籍議員の過半数の賛成があれば、国会は戒厳令の解除を要求でき、大統領はこれに従わなければなりません。
戒厳法による詳細規定
憲法の規定を具体化するため、戒厳法が制定されています[2]。
1.戒厳の種類:非常戒厳と警備戒厳の2種類を定義
2.非常戒厳の要件:
・敵と交戦状態
・社会秩序が極度に撹乱
・行政および司法機能の遂行が著しく困難
3.警備戒厳の要件:
・社会秩序が撹乱
・一般の行政機関だけでは治安確保が困難
法的効果
戒厳令下では、法律の定めるところにより、以下の特別措置が可能となります[2]:
・令状制度の変更
・言論・出版・集会・結社の自由の制限
・政府や法院(裁判所)の権限に関する特別措置
以上のように、韓国の戒厳令は憲法と戒厳法によって厳格に規定されており、その運用には法的な制約が設けられています。
Citations:
[1] https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241205/k10014659421000.html
[2] https://www.kansai-u.ac.jp/ILS/publication/asset/nomos/30/nomos30-03.pdf
[3] https://jp.reuters.com/world/korea/TJKV7OB5QNK6XEOREDBICWGY7E-2024-12-04/
[4] http://justice.skr.jp/koreaconst/constitution10.html
[5] https://nponitif.jp/south-korea-martial-law/
韓国の事態は他人ごとではない。
大統領が暴走した韓国「戒厳令」…自民が改憲でもくろむ「緊急事態条項」もヤバい? 石破茂首相は「明記」訴え
2024年12月6日 06時00分
韓国で緊迫が走った。尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が突如、言論や出版、集会などの自由を制限する「非常戒厳」を宣言、軍が展開する事態に。既に解除されたが、国内外を大きく揺るがした。この動き、海の向こうの話で済ませていいものか。日本でも有事などで政府に権限を集中させ、市民の権利を制限する「緊急事態条項」の導入を訴える面々がいる。その危うさを考えた。(木原育子、山田祐一郎)
「何てばかなことをしたのか」。目を伏せたのはコスメ店の店長、朴英愛(パクヨンエ)さん(57)。脳裏に浮かぶのは、1980年に起きた光州事件。光州市で大学を封鎖した陸軍部隊と民主化を訴える学生や市民が衝突。戒厳令が出され、多くの人々が命を落とした。
「親戚も亡くなった。あの時の悲しみがよみがえって…。韓国人が民主主義に本気になるのは、あの時の痛みを知っているから。本当に苦しい」と涙ぐんだ。
ブティック経営のキムさん(60)も「大統領と自分の妻を守るために韓国社会の伝家の宝刀を使った。あんなにあっさり抜くなんてありえない」。ヤンニョムチキンを売っていた男性(29)は「韓国の恥。その恥は全て国民に降りかかる」と切り捨てた。
◆人権の保障が失われ無憲法状態に
尹大統領は3日夜、最大野党が国政や司法をまひさせたとして、1987年の民主化後初めての非常戒厳を宣言した。軍の戒厳司令部を稼働させたが、国会の解除要求決議を経て、4日未明に解除となった。
韓国の憲法では、戦争や災害など兵力での対応が必要とされる国家非常事態に陥ると大統領が戒厳令を宣言でき、言論や出版、集会などの自由を制限できる。
4日朝、ソウルの国会前で、戒厳令を受けて抗議の声を上げる市民ら(斎藤雄介撮影)
山口大の纐纈(こうけつ)厚名誉教授(政治学)は「人権や国のシステムは憲法に保障されているが、それが取っ払われ『無憲法状態』になる命令が戒厳令」と説明する。
◆日本でも明治憲法の下では何度も発令
日本の現行憲法に戒厳令の規定はないが、明治憲法にはあった。日露戦争後に賠償金を獲得できず、国民の不満が高まり起きた「日比谷焼き打ち事件」や2・26事件、関東大震災などで出された。「旧憲法では天皇が戒厳を宣告すると定められていた。それは唯一無二の存在が立場を危うくされる場合にだけ使う絶対的な権力だった」(纐纈氏)
今も戒厳令が出るのが、ウクライナだ。現地にいる神戸学院大の岡部芳彦教授は電話取材に「夜間の外出禁止や18〜60歳の男性の出国禁止など緊急事態宣言に近い」と述べる。
「ウクライナの場合、戒厳令中は憲法改正ができないなど、ソ連時代の経験から大統領に権限が集中しないよう工夫される。国によって戒厳令の中身が違う」
◆「共産党スパイの摘発」を名目に
戒厳令に潜む危うさは過去の例から浮かび上がる。
フィリピンでは1972年にマルコス政権が戒厳令を布告。議会機能や憲法を停止し、批判的な言論を弾圧した。台湾でも38年にわたる戒厳令時代があり、独裁政権が「共産党スパイの摘発」を名目に取り締まる”白色テロ”が続いた。
纐纈氏は「絶対的な権力は絶対的な独裁者を生む。社会が不安定化すると、権力者はより強い権力を欲する。国民と溝が深まり、さらに不安定化するが、気付こうとしない」と語る。
日本人も戒厳令に無縁ではなく、ミャンマーの発令地区で2022年、国軍のクーデターの抗議デモを撮影した映像作家が拘束され、刑務所に収監された。
◆緊急事態条項は「権力者に極端な手段を与え得る」
韓国の非常戒厳を受け、日本の野党議員からは、改憲議論で与党などが新設を求める「緊急事態条項」と重ね、警鐘を鳴らす声も上がった。
緊急事態条項について話し合ったイベント=2016年、東京都千代田区の専修大で
社民党の福島瑞穂党首は4日にX(旧ツイッター)で「戒厳令も自民党が作っている緊急事態条項案も民主主義を破壊し、国会無視、国会をなきものにするものです」と投稿。立憲民主党の米山隆一衆院議員も、韓国の事態は緊急事態条項の危うさを「如実に示した」と書き込み、「分断の時代に、権力者に極端な対応を出来る手段を与える事は、極めて慎重でなければなりません」と訴えた。
改憲議論の大きなテーマの一つとされてきた緊急事態条項は、2012年に自民党が改憲草案に盛り込み、2018年には「改憲4項目」に位置付けた。条文案では大規模災害の際に内閣が法律に代わって制定する「緊急政令」や、選挙の実施が困難な場合の国会議員の任期延長を規定する。2023年には日本維新の会と国民民主党、有志の会も、緊急事態時の国会議員の任期延長を可能とする条文案を作成した。
◆乱用リスク「ゼロにはできない」
緊急事態条項に厳しいまなざしを向けてきた小口幸人弁護士は「韓国の非常戒厳と、日本で議論される緊急事態条項は違いもあるが、今回の例を通じ、権力が暴走して乱用されうると再確認された」と指摘する。
「私たちが当然と思っている民主主義は突如、壊れかねない。日本の議員任期延長も、延長され続ければ選挙が行われず、民主主義の否定につながる」
韓国では国会が解除要求決議を経て、非常戒厳は解除された。日本でも、導入を訴える側が国会の解除決議の規定を提案する。これに対して小口氏は歯止めとしての機能を疑問視し「どんな定め方をしても乱用のリスクをゼロにすることはできない」と語る。
◆韓国で止められたのは「例外的」
小口氏は緊急事態条項の規定がない現行憲法に触れ、こうくぎを刺す。
「乱用の歴史は指摘されてきたところ。その重みを理解せずに改憲することだけはあってはならない」
昨年、日弁連は意見書で緊急事態時の議員任期延長について「権力維持目的で乱用されることが容易に想定される」と批判した。
名古屋学院大の飯島滋明教授(憲法学)は「韓国では、政権基盤の維持や政敵排除を目的に緊急事態が使われた」と述べた上で「議会や市民の抵抗で止めることができたのは例外的」と語り、「議会が歯止めとなれば大丈夫と考えるのは危険だ」と過信を危ぶむ。
これらの危惧をよそに、今年9月には自民が論点整理をまとめるなど、改憲に向けた動きは進む。
◆「実際の使われ方について論議を」
石破茂首相も、緊急事態条項の明記を訴えてきた一人。首相就任後の今年10月には、衆院での代表質問で「議論の積み重ねを引き継ぎ、後戻りさせることなく前に進める」と口にした。
先の飯島氏は「戦力不保持を定める9条2項の削除が持論の石破氏にとって、自衛隊を動かすために、緊急事態条項がセットで必要だ」とみる。
先の衆院選で自民は議席を大きく減らした。衆院憲法審査会長のポストは自民から立民に移り、枝野幸男氏が就いた。そんな中でも飯島氏は「SNSで改憲発議への機運が高まれば、かじを切る可能性もあり、先行きは不透明だ」と話す。
与野党から反対の声が上がる緊急政令も、緊急事態条項として国民投票でひとくくりに発議される可能性があるとし、飯島氏はこう訴える。「実際の使われ方などについて、もっと認識を深めることが重要だ」
◆デスクメモ
「戒厳令の撤廃を!」。韓国の民衆らの叫び声は、権力の暴走を止める原動力になった。翻って日本。秘密法案でせめぎ合った11年前、石破氏は絶叫デモをテロ行為と突き放し、撤回後も「民主主義の手法とは異なる」と断じた。彼に強権を託せば暴走が止まらないと思うのは私だけか。(榊)


