社会と個人 どう向きあうの

林住期 どのように暮らすのか。日々、自問自答する。

(63) 「心中天網島」鑑賞

★ ☆ ★ ☆ 「 ヘッダー」の花  菜の花

 

 

 

アマゾンプライムビデオレンタルで鑑賞(400円)。

心中天網島

心中天網島

  • 岩下 志麻
Amazon


映画.COMから

近松門左衛門の同名原作を「あかね雲」の篠田正浩と詩人の富岡多恵子武満徹が共同で脚色し、篠田が監督した文芸もの、撮影は、「雪夫人繪圖(1969)」の成島東一郎が担当した。第43回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位。

1969年製作/103分/日本
配給:ATG

ストーリー
大阪天満御前町の紙屋治兵衛は、女房子供のある身で、曽根崎新地紀伊国屋お抱えの遊女小春と深く馴染み、情死のおそれもあった。これを案じた治兵衛の兄粉屋の孫右衛門は、武士姿に仮装し、河庄に小春を呼び出した。孫右衛門は、小春に治兵衛と別れるようさとし、その本心を問いただした。小春は治兵衛と死ぬ積りはないと言った。折から、この里を訪れていた治兵衛は二人の話を立聞きし、狂ったように脇差で斬りこんだ。だが、孫右衛門に制せられ、両手を格子に縛られてしまった。そこへ恋敵の太兵衛が通りかかり、さんざん罵り辱しめた。これを聞きつけた孫右衛門は、表に飛びだし太兵衛を懲しめ、治兵衛には仮装を解いて誡めた。治兵衛は目が覚めた思いだった。そして小春からの起請文を投げかえして帰った。数日後、治兵衛は太兵衛が小春を身請けするとの噂を聞いた。悔し涙にくれる治兵衛。これを見た妻のおさんは、始めて小春の心変りは自分が手紙で頼んでやったことと打明けた。そして、小春の自害をおそれ、夫をせきたてて身請けの金を用意させようとした。おさんの父五左衛門が娘を離別させたのはそんな折だった。それから間もなく、治兵衛は小春と網島の大長寺で心中した。

スタッフ・キャスト
監督 篠田正浩
脚色 富岡多恵子 武満徹 篠田正浩
原作 近松門左衛門
製作 中島正幸 篠田正浩
撮影 成島東一郎
美術 栗津潔
音楽 武満徹
録音 西崎英雄
岩下志麻 治兵衛の妻おさん 
岩下志麻 遊女小春
中村吉右衛門(2代目)紙屋治兵衛
小松方正 太兵衛
滝田裕介 孫右衛門
藤原釜足 大和屋の主人
加藤嘉 五三衛門
河原崎しづ江 おさんの母
左時枝 下女お杉

 

54年前の作品。
スタッフ、キャスト懐かしい。
白黒の103分の映画、見ごたえがあった。
人形浄瑠璃を生で見たことがないが、黒子役が出ていたり、回り舞台のような設定、とか雰囲気を感じることができた。

 



心中天網島 - Wikipediaから


                         児嶋玉鳳画「天の網島」。1934年頃

心中天網島
心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。1720年(享保5年)12月6日、大坂竹本座で初演。全三段の世話物。

1720年(享保5年)10月14日夜に、網島の大長寺 (大阪市)で、大阪天満お前町の小売紙商紙屋治兵衛と、曾根崎新地紀伊の国屋の妓婦小春とが、情死を遂げた心中事件を脚色。愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。また、「道行名残の橋づくし」は名文として知られる。後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)が主に上演されている。

「天網島」とは、「天網恢々、疎にして洩らさず(てんもうかいかい、そにしてもらさず)」(中国、老子では「天網恢々、疎にして失わず」(天が悪人を捕まえるために張り巡らした網は、目が粗いが、悪人を取り逃がさない)という諺と、心中の場所である網島とを結びつけた語。近松は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕に乗り大坂への帰途で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたという。 

遊女小春役の岩下志麻艶っぽい。そして、お人形のように綺麗。妻おさんは健気。1941年生まれということなので、当時20代後半。

小松方正演じる 太兵衛が中心の動画があった。金にものを言わせる役どころ、憎々しい。

www.youtube.com


そして、島津亜矢の「小春」。相変わらず歌がうまい。この映画とは直接関係がない。

www.youtube.com

 

遊女と妻の女同士の義理立てが哀しい。

 

日本映画の様式美。形式美。
浄瑠璃や歌舞伎は日本独自のものだと思った。
評価 90点。

 



 

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ